赤坂猛「野生動物問題よもやまばなし」
  • あかさか・たけし
  • 一般社団法人エゾシカ協会代表理事。2008年度より石狩圏に生息するエゾシカの生息実態調査等に着手。一方、地域に埋もれ行くタンチョウなど「野生動物と人との関係史」の発掘調査にも取り組んでいる。調査手法はひたすら「歩く・観る・聴く」そして「編む」、とシンプル。

第10回 昭和50年代以降の狩猟鳥獣と社会(その1)

狩猟鳥獣の捕獲数は、昭和50(1975)年代以降、鳥・獣共に急減してゆくことは既に触れたとおりです(よもやまばなし 第2回)(図-1)。そこで今回は、狩猟鳥獣の捕獲数の急減について「種」から視るとともに、「捕獲数の急減」と社会との関りについて考えてみたいと思います。

図‐1 狩猟鳥獣の捕獲数の推移。1928(昭和3)年~2016(平成16)年。

図-2 主な狩猟鳥獣の捕獲数の推移。「鳥獣関係統計」1955-1995年から(山田 2017)

狩猟獣の捕獲数の推移

・ノウサギ

図-2は、1955年から1995年の40年余の狩猟獣8種の捕獲数の推移を示したものです。山田文雄さんの著書「ウサギ学」(2017)から引用させていただきました。山田さんは狩猟獣の捕獲について、「時代により変化は多いが、ノウサギの捕獲数は他の狩猟獣に比べて毎年もっとも多い。最盛期(1955-1977)には、毎年の総捕獲数に占める割合は、ノウサギ(最大で70-80%)、オスイタチ(10%)、ムササビ(2%)、リス類(1%)、タヌキ、テン、キツネ、アナグマ、クマなどである」と記されています。

山田さんは1923年から近年に至る狩猟統計から、狩猟獣の捕獲数の最盛期を1955-1977年とされています。この「最盛期」は、本コラム(第8,9回)で視てきた昭和30,40年代に相当します。

昭和50(1975)年以降、狩猟獣の捕獲数が急減していくのは、先の「最盛期」に総捕獲数の大半を占めてきていたノウサギの捕獲数が1978年以降に一気に減少していくことによります(図-2)。ノウサギの捕獲数は、1975年頃の約70万頭から20年後の1995年には10万頭へと減少していきます。その後のノウサギの捕獲数は、10年後の2005年(3万4519頭)、そして2016年(5677頭)へと減少しつづけます。

ノウサギは、昭和10(1935)年代には専ら軍用毛皮として(よもやまばなし第4回)、また戦後の30年余には食肉資源として過度な捕獲をされ続けてきた狩猟獣でした。

・リスやオスイタチ、ムササビ等

山田文雄さん(2017)は、最盛期(1955-1977)の狩猟獣の捕獲について、ノウサギ(最大で70-80%)に続いてオスイタチ(10%)、ムササビ(2%)、リス類(1%)等と記されていることは先述しました。図‐2より、リスやオスイタチ、ムササビ等の狩猟獣も1980年頃より捕獲数が減少していくこと、一方、イノシシやオスジカは1980年代より捕獲数が微増し続けていくことが読み取れます。

1996年以降のリス等の捕獲数を1996年と2016年でみると、オスイタチは990頭から315頭へ、リス類は433頭から446頭へ、そしてテンは3152頭から504頭でした。リス類の2016年の捕獲数446頭の種別の内訳は、外来種のタイワンリスが445頭、シマリスが1頭です。なお、ムササビは1994年に狩猟獣から除外されています。

リスやオスイタチ、ムササビ、テン等の「毛皮獣」は、昭和10(1935)年代、農林省が矢継ぎ早に養殖事業や販売制限、更には価格統制等の施策を打ち出してきました。毛皮獣のなかでも高値で売れたムササビの毛皮は、1931年には「3羽獲れば、勤め人の月給に相当する収入になったと秋田のマタギが語っていた」(田口1994)そうです。ちなみに1932年の「毛皮獣」の捕獲数は、リス(12万4544頭)、イタチ(15万8937頭)、ムササビ(3万5936頭)、テン(9831頭)でした(大日本連合猟友会 1933a)。

リスやイタチなどへの「毛皮獣」という括りは、近年には跡形もなく消え失せてしまったように思われます。

狩猟鳥の捕獲数の推移

狩猟鳥の捕獲数は、1975年頃より減少しはじめ現在に至っています(図-1)。捕獲数は、1975年は約960万羽でしたが、40年後の2016年には約40万羽へと減少しています。
図‐3は、1996~2016年における主な狩猟鳥の捕獲数の推移を示したものです(環境省がHP上で公表している「鳥獣関係統計」資料より作成。1995年以前の資料は未公表)。狩猟鳥29種より、捕獲数の多い種などからカモ類やコジュケイ、ヤマドリ、キジ、キジバト、ヒヨドリ、スズメ類の7種・類を選びました。

図‐3 1996(平成8)~2016(平成28)年度における主な狩猟鳥の捕獲数の推移(環境省HP「鳥獣関係統計」より)。

ヒヨドリの捕獲数は大きな年変動をしながら減少してゆきましたが、その他の狩猟鳥はほぼ毎年減少し続けていきました(図-3)。1996年の総捕獲数は284万6467羽で、内訳はヒヨドリ(62万4346羽)、キジバト(61万1390羽)、スズメ類(57万8299羽)、カモ類(51万3208羽)等となります。この20年後の2016年の総捕獲数は41万0357羽へと減じてゆきました。その内訳は、カモ類(16万7107羽)、ヒヨドリ(8万9927羽)、キジバト(4万1920羽)、キジ(3万4444羽)、スズメ類(2万4449羽)等となります。

主な狩猟鳥の捕獲数は、この20年間では一様に減少を続けてきていますが、カモ類の減少は他の狩猟鳥より緩やかであることが読み取れます。

参考までに、先のカモ類等の1932年の捕獲数は、カモ類(65万9056羽)、ヒヨドリ(121万6330羽)、キジバト(107万7191羽)、キジ(32万3956羽)、スズメ類(300万2869羽)です(大日本連合猟友会 1933b)。

「捕獲数の急減」と山村

民俗学写真家の須藤功さん(2004)は、「山の恵み」について、「山が育むそれら樹木、鳥獣、木の実、山菜を一番よく知っているのは山村の人々です。ただ鳥獣には、肉や毛皮を恵んでくれる大切な生き物であると同時に、田畑を荒らす憎き動物という両面があります。その点、山菜はありがたくいただく山の幸です。…」と記されています。

「山の恵み」である狩猟鳥獣の捕獲数は、1975年頃より鳥・獣共に減少してゆきますが、狩猟獣はイノシシ及びシカの捕獲数が増えてきたことにより1998年より増加へと転じてゆくことは触れてきました(よもやまばなし 第2回)。

唯一、捕獲数の増えているイノシシやシカについて、須藤功さん(2004)は、次のように記しています。「昭和55年に、内臓だけ取った丸のままの鹿を肉屋に卸すときの価格は、猪の3分の1が相場でした。丸のままの猪の卸値は当時1キログラム2500円でした。仮に60キログラムの猪だと15万円、3ヶ月の猟期に30頭は下らないといいますから、このかぎりではまずまずの収入でしょう。」とあります。大分県での「流通」の話のようです。近年のジビエブームに先立つ約40年も前のイノシシやシカのリアルな流通情報を知ることができます。

本コラム(第8,9回)では、昭和50年頃の長野県伊那地方の「猟師―しし買いー山肉屋」を通じての山肉(さんにく)の流通システムや秋田県角館町の魚屋の店頭に吊り下げられた毛付きのノウサギ等の「狩猟鳥獣の流通」を視てきました。このような「狩猟鳥獣の流通」のその後については定かではありませんが、イノシシやシカ以外の狩猟鳥獣の流通は時と共に、またそれぞれの山村等の地域社会の諸事情のなかで、徐々に減じ続けていったのではないかと思われます。イノシシやシカ以外の狩猟鳥獣は、山村の「山の恵み」のリストから徐々に外されていったのはないでしょうか。その外されてゆく緩急は、山村等の地域社会の抱える諸事情等により様々であったと思われます。

その「事情」について、羽澄俊裕さんは著書「自然保護の形―鳥獣行政をアートする―」(2017)のなかで、「…狩猟も、ある意味で特殊技能であり、代々、家族単位で引き継がれてきたものです。…日本の急峻な地理的条件の中で、地域社会を支える重要な生活技術を継承する仕組みが、この時代(筆者注;1980年のバブル経済期)に息の根を止められたことは、現代にあふれる野生動物問題の根源的な原因になったと思うのです。」と論じています。長年、全国各地の野生動物問題の現場を視つづけてこられた羽澄さんの指摘は重く響いてきます。山村という「地域社会を支える重要な生活技術」である(特殊技能の)狩猟の継承が断たれて30年余になる、ということです。

昭和50年代以降の狩猟鳥獣の捕獲数の推移の背景の一つが視えてきた思いがします。

昭和50年代初頭、秋田県角館町のイサバ屋の店先には、12頭の真っ白なウサギと3羽のカモ類が吊り下げられていました(太田 1979)。角館の方々は、このような店先の風景をいつごろまでご覧になっていたのでしょうか…。また、長野県伊那地方の「猟師―しし買いー山肉屋」の流通システムのその後が気がかりです。これらの「地域社会」でのフィールドワークが必須です。


引用文献


2020年11月1日公開