赤坂猛「江戸初期のシカ皮交易」
  • あかさか・たけし
  • 一般社団法人エゾシカ協会代表理事。

第6回 オランダ東インド会社によるシカ皮交易―「輸入鹿皮」を大量に買い占める関西の商人―

平戸オランダ商館は、1635年から1641年の間、タイオワン、シャム及びカンボジアの3地域から鹿皮1,420,897枚を輸入してきました(第5回コラム参照)。この7年間、年平均で約203,000枚の鹿皮が輸入されてきましたが、今回は輸入された鹿皮142万枚余の「流通」を視てゆきたいと思います。

仕訳帳に記された「流通」

平戸オランダ商館では、輸送船から荷揚げされた交易品(鹿皮)と「送り状」を精査し、会計帳簿の仕訳帳に記帳してゆきます(行武 2000)。その仕訳帳には、輸入された鹿皮の「流通」も記載されていきます。

鹿皮の流通の一端については、第4回コラムにおいて、「平戸オランダ商館は、1635年の8,9月に鹿皮161,197枚を輸入し、同年11月には堺及び京都の商人4名に先の鹿皮をすべて売りさばいていた」と記しましたが、輸入された鹿皮の大半は特定の商人等に買われてゆきました(後述)。まずは、仕訳帳で流通の一部を視てゆきたいと思います。

図‐1は、1635年11月23日の仕訳帳です(平戸市史編さん委員会 2004)。1行目に、〔借方〕京都の商人ゴザエモン殿、〔貸方〕タイオワン産鹿皮、そして24,810グルデン余と総売渡額が記載され、2行目に「この金額は、鹿皮30,880枚の売上総額にして、次の価格で上記のゴザエモン殿に対して売り渡されたるもの也。即ち、」とあります。3行目以降には、鹿皮30,880枚の内訳が品目ごとに記載されています。6,330枚のカベッサ[上等品]、19,640枚のバリゴ[中等品]、4,805枚のペー[下等品]そして105枚の大鹿の皮とあり、それぞれの品目ごとに単価及び価格が記載されています。なお、カベッサ、バリゴ及びペーの3品目はニホンジカの梅花鹿、4つ目の品目・大鹿はサンバーと思われます(第5回コラム参照)。

図‐1図‐1 京都の商人ゴザエモンがタイオワン産鹿皮30,880枚を購入した際の仕訳帳。「平戸市史 海外資料編Ⅰ」『平戸オランダ商館の仕訳帳【訳文編】』(p372)から。

図‐2は、1638年10月19日の仕訳帳です(平戸市史編さん委員会 2000)。1行目に、〔借方〕サカタ・ソージロウ殿、〔貸方〕カンボジア産鹿皮、そして109,363グルテン余と総売渡額が記載されており、次行には「この金額は、各種のカンボジア産鹿皮62,690枚の売上総額…」とあります。鹿皮62,690枚の内訳として、7,986枚のヤマンマ、14,128枚のシャグマ、15,838枚のアタマ、16,177枚の第3種とありますが、これら4品目の内容が不詳であることは第5回コラムで記したとおりです。なお、品目欄の最後に「326枚 各種の皮 送り状に対する数量不足分」とは、輸入時(1638年8月18日)の書類「送り状」の鹿皮総数62,690枚に対し、この度の販売に際して鹿皮の各品目を精査した結果、全体で326枚の不足(腐敗等により「商品」から外された)が発生したため、このような記載事項が付されました。従って、販売数は「不足分」326枚を差し引いた62,364枚となりますが、会計帳簿上では輸入時の枚数を基準とし「販売時」の枚数をとりまとめています(注)。

図‐2図‐2 サカタ・ソージロウがカンボジア産鹿皮62,690枚を購入した際の仕訳帳。「平戸市史 海外資料編Ⅱ」『平戸オランダ商館の仕訳帳【訳文編】』(p298)から。

上記のような商人による「大口買い付け」のほか、小口のものもありました。図‐3は、1638年10月13日の仕訳帳です(平戸市史編さん委員会 2000)。〔借方〕長崎代官[末次]平蔵殿とあります。徳川幕府の直轄領である長崎の「奉行所」による備品等の購入と思われます。内訳のなかに、多くの毛織物類とともに「シャム産鹿皮 300枚…カベサ[上等品]」とあります。シャム産鹿皮300枚は、長崎奉行所においてどのように利用されたのか、その使途に関心が注がれます。

また、図‐4 は、1641年9月28日の仕訳帳です(平戸市史編さん委員会 1998)。〔借方〕現金、〔貸方〕下記諸口等とあり、次行に「この金額は、次の価格で数次に亘り多数の人々に対し、[現金にて]売り渡されたる下記諸商品の売上総額なり。即ち、」と記載され、以下、販売された16の商品が列記されています。12番目の商品に「タイオワン産鹿皮 241枚、以下内訳」とあり、内訳には238枚のコマンデル海岸産、1枚の大鹿の皮及び2枚の虎皮と3品目が列記されています。「コマンデル海岸」とはインドの東海岸に位置しており、「238枚のコマンデル海岸産」とは、当地に生息するシカ類の皮と思われます。この「タイオワン産鹿皮 241枚」を購入した方は、その数量の多さから皮革に係る生業を営む方のように思われます。

図‐3図‐3 長崎代官[末次]平蔵がシャム産鹿皮300枚等を購入した際の仕訳帳。「平戸市史 海外資料編Ⅱ」『平戸オランダ商館の仕訳帳【訳文編】』(p295)から。

図‐4図‐4 タイオワン産鹿皮241枚等が購入された際の仕訳帳。「平戸市史 海外資料編Ⅲ」『平戸オランダ商館の仕訳帳【訳文編】』(p357)から。

2.7年間の鹿皮の流通

1635年から1641年の7年間、平戸オランダ商館はタイオワン、シャム及びカンボジアの3地域から鹿皮1,420,897枚を輸入してきた(第5回コラム参照)ことは、先にも触れたとおりです。表‐1は、その輸入した鹿皮の日本国内での流通、即ち、平戸オランダ商館が輸入鹿皮を販売した年月日、販売した鹿皮の枚数及び購入者の氏名等をまとめたものです。表‐1より、平戸オランダ商館の鹿皮販売の「流通」を読み取ることが出来ます。

表‐1 平戸オランダ商館が1635年から1641年に輸入した鹿皮の販売実績(販売した年月日、販売した産地ごとの鹿皮の枚数及び主な購入者等)

西暦年 月日 タイオワン産 シャム産 カンボジア産 主な購入者等
1635 11/1 40,017     40,017 堺商人ゴロベエ殿、ヤソザエモン殿
11/23 30,880     30,880 京都商人ゴザエモン殿
11/25   90,300   90,300 堺商人トウザエモン殿
小計 70,897 90,300 0 161,197  
1636 11/16   103,480   103,480 京都商人ソーエモン殿、シチビョウエ殿
11/20 41,080     41,080 京都商人ソーエモン殿、シチビョウエ殿
11/29 19,215     19,215 堺商人トウザエモン殿
12/31   200   200 (氏名・未記載)
小計 60,295 103,680 0 163,975  
1637 11/29   58,026   58,026 京都商人ソーエモン殿、シチビョウエ殿
12/3 81,700     81,700 大坂商人サカタ・ソージロウ殿
12/4     53,893 53,893 京都商人ソーエモン殿、シチビョウエ殿
小計 81,700 58,026 53,893 193,619  
1638 10/13   300   300 長崎代官[末次]平蔵殿
10/19     62,690 62,690 サカタ・ソージロウ殿
10/20 151,982 60,417   212,399 京都商人カナヤ・スケエモン殿
10/21 828     828 江戸商人オリヤ・ハンザエモン殿
小計 152,810 60,717 62,690 276,217  
1639 10/21   600   600 長崎代官[末次]平蔵殿
11/15 258     258 京都商人カナヤ・スケエモン殿
11/24 143,837 93,575 126,089 363,501 京都商人サカイヤ・リヘエ殿
小計 144,095 94,175 126,089 364,359  
1640 小計 0 0 0 0  
1641 2/20 15,180   75,530 90,710 マチ・ハチロベエ殿 他
2/21   75,090   75,090 京都商人サカイヤ・リヘエ殿
9/28 241     241 (氏名・未記載)
10/3 46,060 50,370   96,430 アワヤ・モザエモン殿 他2名
小計 61,481 125,460 75,530 262,471  
  合計 571,278 532,358 318,202 1,421,838  

毎年度、7月から9月頃に平戸オランダ商館へと輸入された鹿革(第5回コラム参照)は、当該年度の10月から11月頃にすべての鹿皮が販売されてゆきました。但し、1640年度の輸入鹿皮165,800枚は、翌1641年2月に販売されていました。輸入された鹿皮が速やかに販売されていくのは、「商人側があらかじめ鹿皮の購入について商館側へ発注しておくといった深い信頼関係を築いていた」(行武 2000)ため、と思われます。

また、鹿皮は、毎年度、3から4名(又は組)の商人等へと大量に購入されてゆきました。京都商人サカイヤ・リヘイは、1639年11月24日に363,501枚を購入し、同じく京都商人カナヤ・スケエモンは1638年10月20日に212,399枚を購入しています。1638年、1639年の2年間で57万枚余の鹿皮が京都商人に購入された「鹿皮市場とその消費」に関心が注がれます。

さらに「大量購入」は、京都商人ソーエモン他の103,480枚(1636年11月16日)が、90,000枚台の購入者には、96,430枚のアワヤ・モザエモン他(1641年10月3日)、90,710枚のマチ・ハチロベエ(1641年2月20日)及び90,300枚の堺商人トウザエモン(1635年11月25日)がいました。また、約2万枚から8万枚台の鹿皮を購入した京都や大坂、堺の商人等が9名いました。

一方、長崎代官[末次]平蔵による300枚(1638年10月13日)及び600枚(1639年10月21日)の購入や、200枚(1636年12月31日)及び241枚(1641年9月28日)といった購入者の不明な小口販売もありました(表‐1)。

表‐2 平戸オランダ商館の「鹿皮」を購入した購入者氏名、購入回数及び購入数量(枚).但し、購入した期間は1635年から1641年の7年間.

鹿皮の購入者名等 購入回数 タイオワン産 シャム産 カンボジア産 合計
京都商人サカイヤ・リヘエ殿 2 143,837 168,665 126,089 438,591
京都商人ソーエモン殿、シチビョウエ殿 4 41,080 161,506 53,893 256,479
京都商人カナヤ・スケエモン殿 2 152,240 60,417   212,657
京都商人ゴザエモン殿 1 30,880     30,880
堺商人トウザエモン殿 2 19,215 90,300   109,515
堺商人ゴロベエ殿、ヤソザエモン殿 1 40,017     40,017
大坂商人サカタ・ソージロウ殿 1 81,700     81,700
江戸商人オリヤ・ハンザエモン殿 1 828     828
サカタ・ソージロウ殿 1     62,690 62,690
アワヤ・モザエモン殿 他2名 1 46,060 50,370   96,430
マチ・ハチロベエ殿 他 1 15,180   75,530 90,710
長崎代官[末次]平蔵殿 2   900   900
その他(氏名記載なし)   241 200   441
    571,278 532,358 318,202 1,421,838

表‐2は、1635年から1641年の7年間に平戸オランダ商館から「鹿皮」を購入した者の氏名、回数、産地別の枚数及び総枚数をまとめたものです。

京都商人はサカイヤ・リヘエ、カナヤ・スケエモン、ゴザエモンの3名とソーエモン及びシチビョウエ組の計「4名/組」と最多でした。購入回数は、ソーエモン、シチビョウエ組は4回、サカイヤ・リヘエ及びカナヤ・スケエモンはそれぞれ2回でした。京都商人の総購入回数は9回と最多で、鹿皮の総購入枚数は938,607枚と全体の66.0%を占めていました。次は、堺商人でトウザエモンとゴロベエ及びヤソザエモン組の「2名/組」でした。堺商人の購入回数は3回で、総購入枚数は149,532枚(10.5%)でした。大阪商人はサカタ・ソージロウの1名で、購入枚数は81,700枚(5.7%)でした。

更に、表‐2の購入者サカタ・ソージロウは、「京都の商人」(行武 2000)で購入枚数は62,690枚(4.4%)でした。

以上の「関西」商人6名と2組の「8名/組」で、鹿皮の総購入枚数は1,232,529枚と全数の86.7%を占めていました。

「関西」商人以外では、唯一、江戸商人オリヤ・ハンザエモンが、1638年10月21日にタイオワン産鹿皮828枚を購入していました(図‐5)。

なお、職業等の不明な購入者としてアワヤ・モザエモン他2名及びマチ・ハチロベエ他の2組(表‐2)がいますが、筆頭者であるアワヤ・モザエモン及びマチ・ハチロベエについては、1638年10月17日の仕訳帳(図‐6;平戸市史編さん委員会 2000)に似た「姓名」がみられました。即ち、図‐6より、アワヤ・モザエモンは「堺商人アワヤ・タザエモン」と、マチ・ハチロベエは「京都商人マチヤ・ハチロベエ」と似ていることから、私は同一人物の可能性もありうると視ています(いずれかの姓名が「誤記」されてしまったように思われます)。

図‐5図‐5 江戸の商人オリヤ・ハンザエモンがタイオワン産鹿皮828枚を購入した際の仕訳帳。「平戸市史 海外資料編Ⅱ」『平戸オランダ商館の仕訳帳【訳文編】』(p303)から。

図‐6図‐6 中国産白糸29,400斤を長崎代官[末次]平蔵ほか42名の商人が購入した際の仕訳帳。「平戸市史 海外資料編Ⅱ」『平戸オランダ商館の仕訳帳【訳文編】』(p303)から。

3.江戸初期の鹿皮需要

今から80年程前に「近世に於ける鹿皮の輸入に関する研究」(岡田 1937)が、『社会経済史学』(第7巻7号、8号)に掲載されました。近世のシカ皮交易の歴史を研究していくうえで、正に嚆矢となる論文です。岡田章雄さん(1937)は、戦国時代から江戸時代初頭にかけて鹿皮の需要(武具、武器その他の軍需用品の資材として)が膨張していたことは容易に推察することが出来る、と記しています。

川島茂裕さん(1994)は、江戸時代初頭の朱印船貿易による鹿皮交易の実態を炙りだし(第2,3回コラム参照)、岡田さんのこの推察を実証されました。

本コラム(第4、5)では、上記の朱印船貿易とは別の交易ルートとなるオランダ東インド会社「平戸オランダ商館」による1635年から1641年の鹿皮輸入とその流通を明示することができました。平戸オランダ商館が「輸入した鹿皮」142万枚余は、その大半が京都、堺、大坂の特定の商人によって購入されてゆきました。しかし、大量に購入された「鹿皮」のその後の需要(武具、武器その他の軍需用品の資材として)の実態は定かではありません。今から380年ほど前に「輸入鹿皮」を大量に購入していた「商人」の所在地である京都や堺、大坂での調査が必須であり、今後の課題となります。


(注)仕訳帳の「326枚 各種の皮 送り状に対する数量不足分」について 平戸オランダ商館では、輸入した鹿皮の「販売」に際しては、品目ごとに品質をチェックし「出荷する鹿皮」を決めていく。従って、「輸入した鹿皮」のなかの傷物や腐敗した鹿皮は除かれるため、品目ごとの「輸入(送り状)」と「販売」の数量に差異が生じることがある(表のとおり)。

品目 輸入数 販売数 備考
ヤマンマ 8,006 7,986 -20
シャグマ 14,300 14,128 -172
アタマ 15,800 15,838 38
第3種 16,300 16,177 -123
山羊皮 8,250 8,235 -15
(腐敗皮) 34    
不足数   326  
合計 62,690 62,690  

引用文献


2021年10月3日公開