アルフレッド・W・クロスビー著、小沢千重子訳、紀伊國屋書店、2006年

ものを投げて、離れた地点に精度よく影響を及ぼす能力は、ヒトだけに備わった特殊能力なのだそうである。アメフトのワイドレシーバーへのディープパス、野球における投球、外野手のバックホーム、陸上投擲競技など、さまざまなスポーツの場面で驚異の身体能力を目にする。また、放たれる道具のほうも、石から銃弾、そしてロケットへと、地球を飛び出すほどの進歩を遂げ、なおとどまるところを知らない。

著者はこれを神が与えた能力といい、宇宙開発に夢を抱いているが、自制や歯止めがきいていないところに感じる不安は小さくない。

われわれのご先祖は、石と投槍で大型獣を捕獲してきた。その流れは現在も継続しており、矛先は同種の異民族や他宗派にも向けられ、得意の飛び道具を駆使して攻撃を続ける。Homo sapiens(「賢い人」を意味する)を自ら名乗る人間は、解決策を見出せていない。

著者はアメリカ人だが、日本の長篠の戦いの銃撃が載っている。列になり、発砲後に後列に回り、次の発砲の準備の間に前列が撃つ作戦は、世界に先駆けたものだったそうである。そのあと秀吉によって銃が取り上げられ、幕府のものとなった一方で、銃の製造所を減らし、一般の武士には「飛び道具を卑しみ、剣の道に邁進することを奨励した」。この意識づけは日本の武士道を形づくり、今もなお、警官の発砲の少なさなどにみられるように思う。私も、狩猟で銃はちょっとズルいんじゃないかという思いが少しある。銃は安全な所から致命的な攻撃ができてしまう。でも、ワナのほうが、獣を騙してズルいという人もいる。結局どちらもズルくないのだろう。(2025年3月記)