伊藤英人の狩猟本の世界
106.『攻撃性の自然史』J. D. カーシ・F. J. エブリング著、香原志勢ほか訳、ぺりかん社、1974年
シンポジウムの書き起こしの翻訳。寄稿者・対談参加者は、K. ローレンツやD. モリスなど豪華で、訳者陣も今や重鎮。
前提として、狩猟は「捕食行動」であって、「攻撃」ではないらしい(しまった、「狩猟本」ではないかも)。捕食は攻撃というカテゴリーに入れるべきではないとされ、人類学や行動学など、どの分野でも攻撃研究の対象外である。
つまり、狩猟に攻撃という要素はないということ。「なぜ狩るのか」の素直な答えは、「お腹がすくから」である。攻撃と誤解されやすい銃撃や、トドメサシを含むすべての刃入れは、その後の食肉化または毛皮化を念頭においた、無駄のないものである(技術があれば)。よけいな傷は獲得物の劣化を招く。(では、cullingはどう位置づけられるのだろうか?)
後半は、明らかに戦争(人間どうしの攻撃行動)の愚かさを訴えている。時代背景にはベトナム戦争。