伊藤英人の狩猟本の世界
230.『哲学は環境問題に使えるのか』A.ライト・E.カッツ著、岡本裕一朗・田中朋弘監訳、慶應義塾大学出版会、2019年
原題は「環境プラグマティズム」。このことばが浸透しておらず、タイトルを変えざるをえないほど、日本の環境倫理は遅れているらしい。環境プラグマティズムとは、政治に資することを目的とした環境倫理学で、実際に政策に反映されないような机上の議論には意味がない、そしてこれまでの環境倫理はあまり有効でなかった、ではどうしたら応用可能な枠組みを提供できるか、という話。
環境プラグマティズムは以下のような立場をとる。
- 利害関係者の立場はさまざまなので、道徳的一元論ではなく道徳的多元論が望ましい。
- 自然の内在的価値は否定しきれないが、そこに頼っては一元論的になってしまうため注意がいる。
- 個別主義ではなく全体論で問題を捉えるのが望ましい。
- 非-人間中心主義は望ましいが、社会が人間中心主義に慣れていること、われわれが人間であり人間の考え方しかできないことから、やむをえず「弱い人間中心主義」を許容する。
- 生態学および生態系の概念は環境倫理学との親和性が高い。非-人間中心主義的であり、全体論的であり、多元論でもある。(私の「生態学推し」が間違っていないことを確信。)
- 環境問題は1つの絶対的な解が出たり、強引に二者択一にもっていったりするようなものではない。事例ごとに個別に検討していくべきである。
訳者陣による解説、あとがき、基本用語集(ウェブサイト)がわかりやすく、これらのおかげで環境哲学をだいぶアップデートできたと思う。レオポルドは読んであったが、キャリコットも読んでおけばよかった。キャリコットへの批判は多く載っていた。
現在、環境プラグマティズムは環境哲学に中心部に位置しているらしい。しかし私には、環境プラグマティズムが進展したところで、実際の合意形成に具体的に寄与できるかどうか、少し頼りなく感じた。環境倫理学者には、カネ、権力、暴力、愛護団体に屈せずに合意に導いてほしい。原子力規制委員会やコロナ分科会のような独立した立場でビシッと発言してほしい。
ちなみに、訳書なので、訳者はあとがきや訳注のレベルでしか補足ができず、用語集をウェブサイトに飛ばすのはしょうがない(読者には非常にありがたい)が、この分の印税はどうなのかちょっと気になる。用語集の充実は訳者の善意によるところが大きいように思う。もともと訳本は労力のわりに訳者への印税が少ない印象がある。こうした事情から、私は割高感のある訳本の本体価格には寛容になってほしいとの思いをもっている。