伊藤英人の狩猟本の世界
237.『くう・ねる・のぐそ』伊沢正名著、山と渓谷社、2014年
2008年刊行本を文庫化。
年間野糞率100%を何度も達成している、自称「糞土師」の野糞エッセイ。他の追随を許さない奇書。
野糞のきっかけは、自然保護活動と、糞尿を出すくせに近隣の屎尿処理施設の建設に反対する住民の身勝手さであった。
糞尿を流すたびに大量の水と紙を消費している。その後の処理は他人事。だから、土に還す野糞こそ、自然に対する「愛のお返し」というのが著者の信念であり、正論である。なお、トイレで水に流した糞尿がどういう経緯をたどるか知らない人は、『そしてウンコは空のかなたへ』(平田剛士著、2004年)を参照されたい。
野糞の分解過程はなかなか貴重な記録である。これをカラー写真で載せたかった著者の意向を受け、そうはいかない編集者が出した答えは「袋とじ」であった。史上最もドキドキしない袋とじでは、ウンコに群がる分解者たちの営みが展開される。一見の価値がある。文庫版でも再現してくれている。
人間界から離れがちなわれわれは、一般人よりおそらく野糞率が高めだが、私は廃棄物を山に残し、自然環境を汚染しているのではないかといううしろめたさが少しあった。しかし、分解者はウンコに飛びつく。虫や腐肉食者(というかあらゆる哺乳類)が食べ、キノコやカビが覆いつくし、植物は根を伸ばす。夏は菌類の活動が活発になり、冬は動物の貴重な食糧源となる。分解されづらいのはむしろティッシュのほうであった(うすうす感じてはいたが)。葉っぱを使おう。第9章は、実際の拭き心地で選ばれた葉っぱ図鑑で、ササやヨモギなど意外性があり、参考になる。繊毛と水分がポイントのようだ。
山を生態系ととらえると、狩猟だけでは「系外へのタンパク質の持ち出し」である。もし野糞として「愛のお返し」をし、最期に野垂れ死にができれば、美しいいのちの循環が完成しそうな気がする。狩猟と野糞なしでエコは語れまい。「自然とのふれあい」は、「野糞」とほぼ同じ意味の言葉であろう。
ウンコひとつの分解に1〜3か月を要することが証明された。狩猟者として知りたいのは、動物遺体(狩猟残滓)の分解である。地表にある遺体は、われわれ同様、哺乳類が肉をすぐに消費する(分解の様子の写真は、写真集の 58.『死を食べる』にある)。では、地中に埋めた狩猟(駆除)残滓はどうだろうか。駆除個体は、動物に掘り返されない深さで土に埋めることとされている。この時点で、哺乳類と好気性微生物の分解活動が抑制される。通常の遺体よりも分解速度が遅くなり、土中に長くとどまると想像される。かといって、地表に置けばキツネ・タヌキ・アライグマを増やす方向に働く恐れもある。環境収容力を超えそうな大量のバイオマスを、人間だけでなく分解者にも「有効活用」してもらう方法を考えてもらいたい。