伊藤英人の狩猟本の世界
267.『ヒトは食べられて進化した』ドナ・ハート、ロバート・W. サスマン著、伊藤伸子訳、化学同人、2007年
なぜ大型動物は、貧弱な私にビビるのだろうか。すぐ逃げるし、よほどのことがないかぎり攻撃してこない。そもそもなぜ、人間はこんなに弱いのだろうか。獣に勝てるわけがない。動物園では檻の強度を気にしてしまう。
それなのに人間は偉そうである。Homo sapiensと名乗り、人新世と名づけ、万物の霊長として支配的地位にいる(人間中心主義、キリスト教的世界観は根強い)。
人類は狩猟者として進化を続け、手や脳を発達させた(そしてさらに力を高め、大量破壊兵器の生産に至った)というように考えらえている。しかし、巨大なマンモスを貧弱な武器と人数だけで絶滅させるほど狩りつくしたとは思えない。はたして人間は強いのか弱いのか、最高次の絶対的な捕食者といえるのだろうか。
著者は人間が野生動物に食べられたさまざまなケースを調査し、人類が現在もなお食べられつづけていることを証明している。気持ちいいほどの食べられっぷりである。部族同士の衝突で開いたとされていた頭骨の穴は、ハイエナや大型ネコ科動物の牙と一致した。陸だけでなく、空や海からも狙われている。彼らのなわばりに入ったとき、警戒を怠ってはならないし、食べられたとしても驚くことではない。われわれに「エサとしての自覚」があっていい。
クマとの関係はおもしろい。オルテガ・イ・ガセーは狩猟の定義のひとつに、「狩る/狩られるの立場が明確であること」を挙げているが、クマ猟は猟といえるのだろうか。おそらく互いに、相手の食事メニューのひとつにされていると思っていない。これは共生(symbiosis)とはいえないだろう。共存(coexistence)ならまだわかる。