- あかさか・たけし
- 一般社団法人エゾシカ協会代表理事。
第3回 昭和初期から平成に至る狩猟鳥獣の捕獲数の推移について(その2)
先のコラムでは、狩猟鳥獣の捕獲数が1970年代後半を境にして一気に減少してゆくことを視てきました。そこで、今回は、昭和初期から1970年代頃までの狩猟鳥獣と人々(社会)の関り等について、数回に分けて点描してゆきたいと思います。
前回に引き続き、図―1をご覧ください。狩猟鳥獣の捕獲数は、1928(昭和3)年から1940年代半ばまでは共に高めで推移していきます。この期間は、1928(昭和3)年から第2次世界大戦の終結した1945(昭和20)年の約20年間になります。
図―1 狩猟鳥獣の捕獲数の推移(1928年~2016年)
昭和初期、野生鳥獣と社会の関り
狩猟者のための公益団体として、(社)大日本猟友会と各都道府県猟友会があることはご案内のとおりかと思います。
全国組織である大日本猟友会が創設されたのは、1929(昭和4)年9月27日と約90年前になります。創設時の名称は「大日本連合猟友会」でしたが、昭和14年の社団法人化に伴い改称し現名称となりました(大日本猟友会 1984a)。
さて、狩猟行政を所管する農林省は、この大日本猟友会の創設総会の前日(9月26日)に「府県連合狩猟団体協議会」を開催し、参集した18府県の代表者から「東京に狩猟団体の中央会を設けること」に関し賛同を得ています。この農林省の入念な対応の背景には、当時、全国的に統一された狩猟者団体がないことから狩猟行政の適正な執行に支障をきたしていたことがあったようです(大日本猟友会 1984b)。
さて、上記の協議会では、主催者より農林大臣及び畜産局長の2名からそれぞれ挨拶がありました(大日本連合猟友会 1930)。
農林大臣の告辞では、「……近年の猟具並びに狩猟技術の著しき進歩による野生鳥獣の乱獲を招来し、尚未だ密猟者を根絶できず、その結果近来野生鳥獣は全国的に著しく減少を来たしていること、更にはある種の鳥獣においては絶滅に瀕している……」とありました。野生鳥獣の乱獲や密猟の横行、その結果として個体数の顕著な減少や一部鳥獣の絶滅の懸念など、当時の「野生鳥獣の生息動向への深刻な危機、危惧」が告辞され、狩猟行政を所管する農水省の大きな課題となっていたことが伺われます。昭和初期、北海道では、オオカミは既に明治中期に絶滅し(俵浩三 1979)、毛皮の優れたカワウソは絶滅状態に追いやられ(安藤元一 2009)、更にエゾシカは明治半ばに次ぐ2度目の非狩猟獣措置がとられる(梶光一他 2006)など、正に「大臣の告辞」そのものでした……。
続く畜産局長の挨拶では、「我が国の狩猟は近年著しき進歩発達を遂げている」とし、狩猟免許者は大正元年9万4千人、大正10年21万7千人と触れた後、「昭和2年に於ける免許者数は11万6千人、猟獲物は730万8千円(注1)に達している……」とし、さらに、「(狩猟は)原始産業の一種として国民経済上及び国民の保健栄養上極めて重大なる意義あることも今更申すまでもない……」としています。農林大臣の告辞とは一転し、畜産業的な視点からの挨拶に私は意表をつかれました。狩猟鳥獣という猟獲物を、狩猟頭・羽数ではなく、金額で表していることに驚きを禁じ得ませんでした。
また、「家畜と狩猟」行政を所管している畜産局長は、家畜産業の近代(?)に対し、狩猟産業を原始と考えられていたのでしょうか。原始産業とはいえ、その狩猟鳥獣の猟獲物は730万8千円に達し、国民の経済を支え、国民の滋養を支えている、と高く評価しています。昭和初期における狩猟鳥獣と人々(社会)との関係を明瞭に物語っている「畜産局長の挨拶」ではないでしょうか。
近代日本狩猟図書館(全15巻、出版科学総合研究所編.大日本猟友会発行.1981.)
「連合猟友・創刊号」は上記第10巻に、「狩猟界・創刊号」は同第9巻にそれぞれ復刻版が掲載されています。
実は畜産局長と同趣旨の論考が、4年後の昭和8年に刊行された「連合猟友・創刊号」(大日本連合猟友会発行 1933)に掲載されています。『狩猟に対する認識』(常務理事 山羽幸平著)がその論考です。
山羽氏は、「狩猟はスポーツとも見られ、或いは趣味とも見られようが、日本に於ける狩猟の現状を具に観察すれば、狩猟とは吾人の生活の一部なりと云ってよいかと思ふ」とし、「試みに昭和7年度農林省調査の実績から見ても、……全国狩猟免許者7万6千人の狩猟者によって捕獲された鳥獣の総価格は575万円(注2)に上がるのである。狩猟者一人当たり獲物価格は76円余(注3)であって、これは経済的に恵まれぬ現時の山間漁村の狩猟者にとって、狩猟は生活の一資源をなすものと云ふべきである。」と記しています。山羽氏は農林省調査から捕獲された鳥獣の総価格 575万円と引用されておりますが、その「調査報告書」には狩猟鳥獣毎の詳細なデータも記されていることが推測されます。農林省の「調査報告書」の精査がまたれる所以です。
論考は続きます。「……この捕獲鳥獣の総価格は全国家畜家禽のそれに比しても大きな部分を占めるのである。この巨額の狩猟捕獲物が、其一部は市場に売却せられて狩猟者の私経済を潤し、其一部は野菜以外肉類の乏しい山村僻地の国民に栄養食を供給して、国民保健に資する処多大なるものがある」と論じています。捕獲鳥獣の総価格は全国家畜家禽のそれに比しても大きな部分を占める、とは驚きです。このことについては、後程取り上げることとします。ちなみに、昭和7年の狩猟鳥獣の捕獲数は、おおよそ狩猟鳥1500万羽、狩猟獣90万頭となります(図―1より判読)。
狩猟行政を所管する農林省畜産局では、家畜と狩猟鳥獣を同格の食肉資源として扱っていたと思われます。しかし、この畜産局による狩猟行政の所管は直に終焉を迎えることになります。1935(昭和10)年、農林省の官制が改正され、山林局はそれまでの森林原野に関する事務のほか、「狩猟ニ関スル事務」も所掌することとなりました(林野庁編 1969)。更に、1971(昭和46)年には、狩猟行政は農林省から新設された環境庁へ移管され今日に至っています。環境省が毎年度公表する「鳥獣関係統計」では、狩猟鳥獣のデータは捕獲数(羽、頭)で記されています。
食肉としての「家畜家禽と狩猟鳥獣」
上記の山羽氏の論考にありました「……この捕獲鳥獣の総価格は全国家畜家禽のそれに比しても大きな部分を占める」との記載から、私は、「明治天皇紀(第2巻)」(宮内庁編 1969)の明治4年12月17日(獣肉の供進)を思い出した次第です。ちなみに、私が「明治天皇紀(全12巻)」と出会ったのは、函館市立図書館にゼミの学生と卒論調査で伺った2015年の初冬でした。以下、引用します。
十七日 肉食の禁は素と浮屠の定戒なるが、中古以降宮中亦獣肉を用いるを禁じ、因襲して今に至る、然れども其の謂われなきを以て爾後之を解き、供御に獣肉を用いしめらる、乃ち内膳司に令して牛羊の肉は平常之を供進せしめ、豚・鹿・猪・兎の肉は時々少量を御膳に上せしむ。
その概要は、宮中では「肉食の禁」(注4)に基づき古代より肉食を排してきたが、そもそもその根拠が謂れのないことから、今後は獣肉(主には牛・羊の肉、時々は豚・鹿・猪・兎の肉を少々)も食膳に供することとする、というところでしょうか。原田信男さん(2013a)は、この「獣肉の供進」を発したのは、広く食生活の洋風化を推進させるためにはなによりも肉食の禁忌が障害であったことから、この「天皇肉食再会宣言」が出されたとされています。
私が興味をひかれたのは、容認された獣肉の種類とその格付けです。家畜肉としては牛と羊、豚の3種類を、野獣肉としては鹿、猪及び兎の3種類の計6種類に限定しています。また、牛・羊を平常食の肉とし、一方、豚・鹿・猪・兎を時々の少量食の肉としています。何故、家畜肉では豚の扱いが牛羊と違うのでしょうか、また、野獣肉を3種に限定した理由等も気になります。これらの疑問に関する論考等は、管見の限りではありますがまだ出会えていません……。更なる、今後の課題です。
さて、明治4年に「獣肉の供進」として掲げられた食生活の「洋風化の推進」については、明治半ばには料理教育書等により勢いよく肉食と洋食が社会的に浸透してゆき、大正に入ると都市には新たにサラリーマン階層が生まれて、洋食文化が広く定着していきました(原田 2013b)。更に、昭和初期には、日本人の食文化もかなりの近代化を遂げ、西洋的な食材や料理法が明治期とは異なって、都市を中心とした部分ではかなり受け入れられていきました(原田 2013c)。
明治4年の「獣肉の供進」が目指した『食生活の洋風化』は、半世紀を経て実現を視たようです。それを支えていたのが、狩猟鳥獣の捕獲物資源でもあることは、冒頭で取り上げた昭和4年の農林省畜産局長の挨拶が雄弁に語っていると思います。昭和初期の国民の食卓には、家畜・家禽の肉と狩猟鳥獣の肉が「相半ば」していたのではないでしょうか。
次回は、昭和10年代の狩猟鳥獣と社会の関りを点描します。
注1 「昭和2年、猟獲物は730万8千円」を現在に換算すると、約362億円となります。なお、換算に際しては以下を参考としました。
- 昭和6年の東京・公立小学校教員の初任給 45円から55円(「物価の文化史事典」.森永卓郎監修.展望社.2008. p398)
- 平成29年の東京・公立小中学校教員の初任給 約247,500円(HP)
注2 「総価格 575万円」を現在に換算すると、約285億円となります。なお、換算に際しては 注1によりました。
注3 「狩猟者一人当たり獲物価格 76円余」を現在に換算すると、約38万円となります。なお、換算に際しては注1によりました。
注4 「肉食の禁」については、「肉食の社会史」(中澤克昭.山川出版社.2018)をお薦めします。これまでの研究史をふまえた重厚且つ最新の「論考」を学ぶことができます。なお、以下に第1章「禁欲から禁忌へ」の冒頭の書き出しを引用します。
「日本では古代から肉食が忌避されてきた」、「仏教の不殺生戒の影響で肉食は禁じられていた」といった説は根強い。しかし、すでに多くの研究によって、この列島では連綿と肉食がおこなわれてきたことがあきらかにされている。古代から中世、さらに近世へと、時代が降るにつれて、肉食を忌避する思潮が強まる傾向にあったことも指摘されており、そうした肉食忌避の起源は何なのか、いつ頃どのように発生し、強まったのか、といった問題についても研究が蓄積されている。
引用文献
- 安藤元一(2009)『ニホンカワウソ 絶滅に学ぶ保全生物学』.東京大学出版会.p81.
- 大日本猟友会 (1984a) 『日本猟友会史』.出版科学総合研究所.p4.
- 大日本猟友会 (1984b)『日本猟友会史』.出版科学総合研究所.p3.
- 大日本連合猟友会(1930)『狩猟会 創刊号』.大日本連合猟友会.p31-34.(出版科学総合研究所編 1981.『近代日本狩猟図書館 第9巻』大日本猟友会)
- 大日本連合猟友会(1933)『連合 猟友 創刊号』.大日本連合猟友会.p4-5.(出版科学総合研究所編 1981.『近代日本狩猟図書館 第10巻』大日本猟友会)
- 原田信男(2013a)『日本の食はどう変わってきたか』.角川選書.p154.
- 原田信男(2013b)『日本の食はどう変わってきたか』.角川選書.p168-170、177-179.
- 原田信男(2013c)『日本の食はどう変わってきたか』.角川選書.p189-191.
- 梶光一、宮木雅美、宇野裕之編著(2006)『エゾシカの保全と管理』.北海道大学出版会.p6.
- 宮内庁編(1969)『明治天皇記 第2巻』.吉川弘文館.p607.
- 林野庁編(1969)『鳥獣行政のあゆみ』.林野弘済会.p36-39.
- 俵浩三(1979)『北海道の自然保護』.北海道大学図書刊行会.p110.
2020年8月6日公開。