赤坂猛「江戸初期のシカ皮交易」
  • あかさか・たけし
  • 一般社団法人エゾシカ協会代表理事。

第4回 オランダ東インド会社によるシカ皮交易

本コラムでは、これまで江戸初期の朱印船貿易によるシカ皮交易等を観てきました。1613年から1639年の27年間で日本が台湾やタイ等から輸入してきた鹿皮の総数量は、2,522,404枚から2,559,404枚でした(第3回コラム参照)。実は、この時代にはポルトガル、オランダ及び中国等も日本のシカ皮交易にかかわっていました(川島 1994)。

そこで、今回からは、以下の「平戸市史 海外資料編Ⅰ~Ⅲ」等に依拠し、「オランダによるシカ皮交易」を視ていきたいと思います。

1.「平戸市史 海外資料編Ⅰ~Ⅲ」との出会い

2008年3月、私は30年間勤務した北海道庁を早期退職し、4月からは酪農学園大学生命環境学科・生物多様性保全研究室の担当教員となりました。その年の11月上旬、私は野生生物保護学会・長崎大会(開催地、佐世保市)に参加した後、平戸市へと向かいました。

「平戸市」は、私が2001年に出会った江戸時代初期のシカ皮交易に関する論文(川島1994)の重要な舞台でした。その平戸市を観るため、また併せて、当時の平戸からの交易品(海外への輸出品)と蝦夷地の野生動物との関り等を調査するためでした。この「調査」は、私の研究室のゼミ生(久井貴世さん;現・北海道大学大学院文学研究科准教授)が精力的に取り組んでいた卒論研究(タンチョウと人との関係史)に係るものでもありました。

11月10日午前、私は平戸港を見下ろす高台に所在する松浦資料博物館を訪れ、木田館長さんより多岐にわたる貴重なお話をお聞きしました。午後には、予定していた平戸市役所1階の「資料コーナー」に出向き、書架の刊行物や書籍等の史・資料の閲覧を始めました。「平戸市史 海外資料編Ⅰ~Ⅲ」の3部作(写真)を手にしたときは、午後2時を回っていました。最初に閲覧した「平戸市史 海外資料編Ⅰ」は、A4版の厚さ4cmという重厚なものでした。

厚い表紙を開くと、「平戸オランダ商館の会計帳簿 仕訳帳 1635~1637年」と大書された『表紙』がありました。「目次」には、平戸オランダ商館の会計帳簿「仕訳帳」の原文編及び訳文編が各約300頁で計600頁、そして2編の解説等があり全635頁でした。

帰途となるバスへの乗車時刻まで、3時間程ありました。私は、会計帳簿「仕訳帳」の訳文編の『1635年』(p315~p390)を精査することにしました。

平戸市史 海外資料編 Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ

(写真)「平戸市史 海外資料編 Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ」.この3部作は「A4版」であり、全1552ページ数である.

2.会計帳簿「仕訳帳」の『1635年』

会計年度は、西暦年の1月1日から12月31日です。

会計帳簿「仕訳帳」の1635年1月1日には、前年度から繰り越しされた商品や現金、未回収債権等の「77件の品目」とその金額が1頁半に渡り記されていました。「77品目」のなかには「鞣皮、153枚」がありましたが、「鹿皮」等はありませんでした…。1月6日には、平戸オランダ商館が備品として購入した漆器28個とその内訳等が「丁寧に」記されていました。「仕訳帳」には、日々の収入や支出等に関する記述が淡々と記されていました。

6月28日には、去る4月17日江戸にてオランダ東インド会社(注1)ニコラス商館長が徳川家光はじめ閣僚等に贈呈した品々(種々の毛織物商品など)及び江戸参府に要した74日間の旅費・滞在費等諸経費の明細書が、「進物費」として7頁に渡り記されていました。6月30日には、平戸藩主等への贈物が2頁に渡り記されていましたが、私には贈呈した品目「黒色のスペイン鞣皮 10枚」が気になりました。

1635年の前半の精査が終わりましたが、期待していた「鹿皮」等には出会えませんでした…。

しかし、8月30日、輸入品目の中に「タイオワン産鹿皮 26,817枚、以下内訳…」(図‐1)と念願の「鹿皮」に出会うことができました。鹿皮 26,817枚の内訳(注2)として、カベッサ(上級品)が16,230枚、バリゴ(中級品)が8,000枚、ペー(下級品)が1,750枚、そして大鹿の皮が837枚とありました。品目ごとに100枚(又は、重量)当たりの単価等とその金額、そして総額が記されています。なお、タイオワンとはオランダ人が現在の台南市の外港・安平を名付けたものであり(永積 2001)(第2回コラム参照)、1623年に当地にオランダ商館を置き、島の開発に着手していきました(上田 2005)。また、図‐2は、図‐1の「原文編」です。

平戸市史 海外資料編Ⅰ

図‐1 「平戸市史 海外資料編Ⅰ」の『平戸オランダ商館の仕訳帳【訳文編】』の1635年8月30日分(p345~347)の一部を抜粋したものである.輸入品・タイオワン産鹿皮の数量、内訳、単価、金額が記されている。胡椒や象牙等もみられる。

平戸市史 海外資料編Ⅰ

図‐2 「平戸市史 海外資料編Ⅰ」の『平戸オランダ商館の仕訳帳【原文編】』の1635年8月30日分(p54~55)の一部(図‐1と同箇所)を抜粋したものである.

平戸市史 海外資料編Ⅰ

図‐3 「平戸市史 海外資料編Ⅰ」の『平戸オランダ商館の仕訳帳【訳文編】』の1635年11月1日(p362)である.堺の商人2名へタイオワン鹿皮40,017枚を販売し、その内訳及び販売額等が詳細に記載されている.

2日後の9月1日、平戸に入港した2隻の貨物船からは、タイオワン産鹿皮が 2,760枚及び40,310枚が、更に9月27日には、タイオワン産鹿皮1,010枚が、それぞれ荷揚げされています。

一方、9月19日、平戸に入港した2隻の貨物船からは、シャム産の鹿皮が 45,300枚及び45,000枚と計90,300枚が荷揚げされています。

1635年の鹿皮の輸入数量は、上記の8月30日から9月27日の間の6件で、台湾産の鹿皮が70,897枚、タイ産の鹿皮が90,300枚、計161,197枚でした。

平戸オランダ商館に荷揚げされた「16万枚余の鹿皮の行方」が気になります。仕訳帳の精査の再開となりました…。

11月1日、堺の商人ゴロベエ殿とヤソザエモン殿が、タイオワン産の鹿皮40,017枚を購入、とありました(図‐3)。続く11月23日には、京都の商人ゴザエモン殿がタイオワン産の鹿皮30,880枚を購入しましたので、先の8,9月に平戸に荷揚げされたタイオワン産の鹿皮70,897枚は完売されたことがわかります。

更に11月25日、堺の商人トウザエモン殿がシャム産の鹿皮90,300枚を購入しましたので、9月19日に荷揚げされたシャム産鹿皮も完売されました。

以上が、会計帳簿「仕訳帳」の1635年から得られた鹿皮の輸入量と販売先の概要です。なお、タンチョウ等蝦夷地の野生動物に関する資料には、出会えませんでした。

私は、仕訳帳を読み進むにつれ、自身が2001年に読んだ論文「日本企業による海外の生態系破壊はいつから始まったのかーシカを中心に日本人の海外活動の源流をさぐるー」(川島 1994)を何回となく想いだしていました。川島茂裕さん(1994)は、朱印船貿易という「日本企業」が関与した鹿皮交易の実態を明らかにされました。これに対して、この平戸オランダ商館の会計帳簿「仕訳帳」からは、「オランダ企業」(オランダ東インド会社)による日本への鹿皮交易の実態を詳細に視ることができる、と確信した次第です。

私は、平戸市役所の窓口にて「平戸市史 海外資料編Ⅰ~Ⅲ」3部作の購入手続きを済ませ、「佐世保」行のバス停へと向かいました。

3.「平戸市史 海外資料編Ⅰ~Ⅲ」について

先に触れてきた「平戸市史 海外資料編Ⅰ~Ⅲ」及びその会計帳簿「仕訳帳」について、その概要を記しておきたいと思います。

「平戸市史 海外資料編Ⅰ~Ⅲ」

・「平戸市史 海外資料編Ⅰ」(平戸市編さん委員会編 2004)

「本編Ⅰ」には、1635年から1637年の平戸オランダ商館の仕訳帳(オランダ語で記された「原文編」、日本語に翻訳された「訳文編」、以下同)が収録されています。また、解説として「平戸市史海外資料編」(加藤栄一)及び「平戸・長崎オランダ商館の会計帳簿」(行武和博)等が編纂されています。全634頁、2004年3月発行。

・「平戸市史 海外資料編Ⅱ」(平戸市編さん委員会編 2000)

「本編Ⅱ」には、1638年から1639年の平戸オランダ商館の仕訳帳(「原文編」、「訳文編」)が収録されています。また、解説として「オランダ商館を取り巻く情勢―1638・1639年の時代背景―」(加藤栄一)及び「1638(寛永15)年平戸オランダ商館の貿易実態―同年度会計帳簿の分析をとおして―」(行武和博)が編纂されています。全489頁、2000年3月発行。

・「平戸市史 海外資料編Ⅲ」(平戸市編さん委員会編 1998)

「本編Ⅲ」には、1640年から1641年の平戸オランダ商館の仕訳帳(「原文編」、「訳文編」)が収録されています。また、解説として「1640~1641年の時代背景―鎖国政策の展開と平戸オランダ商館―」(加藤栄一)及び「平戸オランダ商館の会計帳簿―その記帳形態と簿記計算構造―」(行武和博)が編纂されています。全429頁、1998年3月発行。

上記の「平戸市史 海外資料編Ⅰ~Ⅲ」により、1635年から1641年の7年間の平戸オランダ商館の仕訳帳のすべてを視ることができます。

なお、平戸オランダ商館の仕訳帳は、1620年8月2日以降、1641年度までのすべての帳簿がハーグ・オランダ国立中央文書館に所蔵されています(加藤 2004)。従って、「平戸市史 海外資料編Ⅰ~Ⅲ」には、現存する21年間の帳簿のうち最後の7年間すべての仕訳帳(「原文編」、「訳文編」)が収録されています。

会計帳簿・仕訳帳

平戸オランダ商館の「会計帳簿」は「仕訳帳」と「総勘定元帳」の2帳簿を主要簿とした二帳簿制(行武 2004)であり、「仕訳帳」には、「毎日の取引の明細を、取引発生の順を追って記載した記録」(加藤 2000)となっています。日々の『取引の明細』については、先述した1635年8月30日の輸入品目「タイオワン産鹿皮 26,817枚」に係る図‐1をみれば一目瞭然ではないでしょうか。私は、約400年前の平戸オランダ商館の会計帳簿・仕訳帳の7年間・700頁余におよぶ記載記録から、多くの知見や発見、そして驚嘆や感銘等を得てきました。

平戸オランダ商館の「仕訳帳」について、行武和博さん(2004)は以下のように総括しています。

…『仕訳帳』は、近世日蘭貿易に関する根本史料である。また日本側には、同貿易に関する纏まった計数的史料が伝在していないことから、これらオランダ側に伝存する会計史料は、江戸時代における彼我両国間の貿易実態を示す唯一貴重な史料を提供しているのである。

次回は、「平戸市史 海外資料編Ⅰ~Ⅲ」の仕訳帳(「訳文編」)より、1635年から1641年の7年間の鹿皮貿易の実態等を視てゆきたいと思います。


引用文献


(注1)オランダ東インド会社 オランダ東インド会社(VOC)は、1602年に創設され、本部はジャワ島のバタウ゛ィアにおかれた。VOCは、アジア貿易の商圏拡大を図るため、アジア海域の主要な交易地にオランダ人の居住する「商館」を設置した。商館はカンボジヤ、シャム、タイオワン、トンキン等にあり、平戸のオランダ商館は1609年に開設された。商館では、収入と支出を記載した複式簿記による帳簿、即ち「会計帳簿」の作成を義務付けられていた(行武 2004)。

(注2)鹿皮 26,817枚の内訳 内訳として、カベッサ(上級品)、バリゴ(中級品)及びペー (下級品)と3種類のランクがあるが、その説明等は記されていない。また、「大鹿の皮」とあるが、その種名等も記されていない。台湾産の鹿皮の内訳では、上級品、中級品及び下級品の数量が極めて多いことから、これらは梅花鹿(第1回コラム参照)と考えられる。また、上記の「大鹿」は、高地に生息する水鹿(Cervus unicolor kerr,1792)と思われる(盛和林・大泰司 等著 1992、李 中華民国77年)。


2021年7月30日公開