赤坂猛「シカ捕獲認証制度(DCC)への歩み」
  • あかさか・たけし
  • 一般社団法人エゾシカ協会代表理事。

第8回 大正7年の狩猟法改正―履行された立法の「希望条件」―

1999(平成11)年、鳥獣保護法が改正された際に、衆議院から出された附帯決議の一つに、国は都道府県の調査研究体制の整備や鳥獣専門家の育成・配置に対し、積極的に助言、指導及び財政的支援を行うこと、とあった。しかし、その後の20年余、附帯決議に明記された「国の都道府県への積極的な支援」の動きがない……ことは第7回で記した。

実は、大正時代、上記とは真逆の行政の「対応」があった(赤坂 2018)ので、本連載でも紹介させていただく。

大正の専門官「狩猟取締官吏」 

ほぼ一世紀前となる1918(大正7)年、狩猟法(注)が大改正された。狩猟鳥獣の指定や猟区の設定など、現在につながる新たな制度が創られたのである。この法改正に際して、衆議院より3カ条の「希望条件」が付され、内1条に「主務官庁及各地方庁ニ狩猟取締官吏ヲ置クコト」とあった。

この「狩猟取締官吏」について、北海道庁は『北海道の猟政』(1969)に次のように詳しく記している。

この改正(筆者注、1918年の狩猟法改正)と関連し、各都道府県には猟政担当専門官を置くことが指示され、当時の専門官は、東京農業大学に1ヶ月間派遣され、みっちり鳥獣法令や動物学の研修が義務づけられ、しかも、この研修は毎年長期にわたって続けられており、猟政担当官は、専門職としての身分を保持させ、猟政担当者の配置には、農商務者が関与するという強い態度であった。

北海道の初代・狩猟取締官吏(斉藤春治氏)は大正時代、絶滅視されていたタンチョウが道東の釧路湿原に生息していることを発見する(井上 1984)など、その職域の広さを伺うことができる。

一世紀前の大正という時代に、都道府県の狩猟行政担当者を東京に集め1か月間と長期におよぶ研修を実施したうえで、猟政専門官としての身分「狩猟取締官吏」を付与する「人材育成事業・制度」には驚きを禁じ得ない。研修内容など本事業・制度の詳細や推移については定かではないが、農商務省が立法府の希望条件に対して真摯に履行していたことは明白である。

大正の希望条件と平成の附帯決議、行政府の対応は現下のところ真逆のようである。令和になったいま、「平成の附帯決議」を忘却させてはならない、と思うのである。

平成の専門官―兵庫県庁の野生動物専門員―

1995(平成7)年に公表された「生物多様性国家戦略」において、野生鳥獣は国民共有の財産と明記された。国民の共有財産である野生鳥獣の適正な保護管理については、1999年の附帯決議に明記された「調査研究体制の整備や鳥獣専門家の育成・配置」が必須のはずである。

生物多様性国家戦略 平成7年10月31日決定

この20年余、附帯決議に明記された「国の動き」が皆無の中、都道府県独自の先進的な取り組みが見られる。なかでも、兵庫県庁では野生鳥獣の適正な保護管理行政の構築に向けて、調査研究体制の整備(森林動物研究センター)や専門職(野生動物専門員等)の育成・配置などに鋭意取り組んできている。

次回は、「兵庫県庁の取り組み」などを紹介する。


(注)1895(明治28)年に制定された狩猟法は、1918(大正7)年の大改正など幾多の改正を経て、現在の「鳥獣の保護及び管理並びに狩猟の適正化に関する法律」につながる。

引用文献


初出 エゾシカ協会ニューズレター第47号(2019年10月)