塚田宏幸 (バルコ札幌)
レストランカミエにて(筆者撮影) |
地球温暖化、エルニーニョ現象、様々な影響があり、今年は暖冬だった。1月中旬に訪ねたえりもでは、雪を探すのが困難なほど。エゾシカにとっては好都合だが、さっぽろ雪祭りスタッフはさぞ苦労しただろう。
本州から来道していた知人と暖冬の話題になった時、事件は起きた。
「今年は雪も少なかった。エゾシカは昨年よりも肥えて美味そうだぞ」
私の言葉に知人は目を丸くした。そして次の瞬間から私を「野蛮人だ!」とでもいいたげな差別の目で睨みつける。彼によるとシカはカワイイ動物であって、食料ではないのだそうだ(私だって生きているシカはカワイイと思うさ)。
「じゃあ、鳥・豚・牛を食べているのはなんだ?」と声を大にして言いたかったが、代わりにある行動を起こすことにした。それは後に書くとして、その時胸に蓄えた反論をこの場を借りて書きたいと思うのでお付合いください。
「日本人は西洋文化が入ってくるまで仏教の教えを守って肉食を断っていた」と思っている方もいるかもしれないが、それは誤解だ。日本で最初の肉食禁止令は、676年に出された「肉食禁止の詔(みことのり)」だという。そこには「牛・馬・犬・鶏・猿の五畜の肉食を農繁期のみ禁じる」と記されており、一見仏教の戒律に従って肉食を禁止したようにも思えるが、そうではない。なぜなら、先の内容ならば「五畜は農繁期外なら食べてよい」ということになる。仏教の殺生戒なら全面禁止にすべきなのに、なぜ農繁期外なら良い、としたのか?
一説によるとこの詔、肉食禁止より、単純に稲作を神聖化したかったからではないかと言われている。ところがここから「肉を食べる=野蛮」の構図が生まれ(私の知人もしかり)、この価値観がのちの差別に繋がったのではないだろうか。そもそも、戒律に従うのなら当時五畜以上に食べていた、鹿・猪・キジを真っ先に禁止したはずなんだが……。
江戸時代に入ると「肉食は穢れたもの」として嫌われ、またもや表向きは禁止されていった。が、いつの時代も同じ。禁止されればされるほど人の欲求は膨らんでいき、ついには「肉は身体を暖める、栄養をつける、病気を治す」と苦しい理由をつけながらも、食肉文化は途絶えることがなかったとされている。カワいかろうが、戒めがあろうが、美味いものの味を知って断つことは困難で、肉食もこれに当てはまることがお解かりいただけたはずだ。
さて、話を戻そう。私が彼にどんな行動を起こしたか、ここまで読んでいただいた方にはとても簡単だが……。彼は、エゾシカを食べたことがないから私を野蛮人扱いした。ならば美味いエゾシカ肉を一緒に喰いに行き、味を教えてしまえばいい。一度味わえば、また喰いたくなるのがエゾシカ肉。歴史に従って、あとは彼が言い訳を考える努力すればいいのだ。
今、誰に向かって「努力」するかって? 彼は妻帯者。動物好きのお嫁さんに言う上手な言い訳までは、昔の文献には載っていないようなので、あしからず。
エゾシカ協会ニューズレター22号に掲載